新陰流
先日、柳生の里に行った。私の住んでいる名張は三重県でも奈良県の県境にあるので、柳生は以外と近い。
柳生といえば、新陰流。一時期新陰流という言葉だけに引かれて、少し読んだことがある。
で、柳生のお墓に行ってみた。結構有名な「十兵衛」の墓は小さかった。
そして、やはり「石舟斎(宗厳)」の墓は大きかった。柳生はこの人から始まったのだなあって考えながら、墓石になっている五輪塔を眺めながら思った。
新陰流といえば、上泉伊勢守信綱(関東の人だが、三重県にはいろいろ縁があって結構好きな人だ)。で、その弟子と言われるのが、柳生石舟斎。
その石舟斎は最終的には、刀を持たない、無刀取りという技を編み出したようだ。ってことらしい。
でも、カメラを持たないとは違い、刀を持たないなんて、命に関わるものだから、凄いなぁって思っている。(もしかしたら、勝手に後から作られた話なのかもしれないが・・)
でも、本当かもしれない。しかし、それを真似して、命を落とした人もいるのかもしれない。
新陰流・・・、もう少し真剣に調べてみたなあって思っている。