三日坊主

今日で三日目・・・

三日坊主は得意であるので、とりあえず今日まではなんとか書いている。

このブログであるが、しばらくは消さないと思うので、今考えていることをいろいろ書いてみようと思う。そして、一年後くらいに読み返してみて、まだ、その考えが自分の中に残っていたら 面白いかもしれない。

坊主って書いたが、私は坊主が苦手だ。特に禅宗の坊主は・・・ たまに本を読んでも、「なるほど、いいこと・・」って思うことを書いているが、私のような根性の曲がったものからみると、たんなる金持ちの恵まれた人の遊びのように思える。

空だとか、仏性だとか、公案とか、まあいろいろよく考えたものだが、恵まれて、たくさんのモノに囲まれて、贅沢してきた人にとっては、たまには、「捨てて」「一物ももたない」生活もいいかもしれない。それによって、少しは世の中に感謝できるのかもしれない。

でも、もともと何も無い人にとっては、もともと何もないのであるのから、捨てる必要もない。もともと「空」なのである。

めぐまれた人達は、たくさんの修行をつんで、そしていろんなモノを捨てて、はじめて、自分の中に仏性をもっているなどという「悟り」という境地を楽しむことができるようだが、そうではない人は、もともと何も無いのであるから、他力だろうがなんだろうが、死んでしまった後は、結局は仏になって極楽にいけるのである。ということを知っている。なぜなら、今、地獄の中を生きているのだから・・・

はっきり行って、何もかも捨てて出家して修行に打ち込めるのは本当に恵まれている人なんだと思う。普通は、捨てたくても捨てられないものを背負って生きていると思う。だから、坊主は嫌いだって 話をすると へんな顔される。ケンカにはならないようだ。相手にされないから・・・

で、実は、写真なんだけど、私は、「お寺」より「神社」で写真を撮るほうが好きだ。お寺は、なんとなく線香くさい(きな臭い)し、えらそうに感じるから。何か修行をして、良い子にしていないと助けてもらえないようだから。

でも、神社は、わがままな私でも、運がよければ、なんとかしてくれそうだし、八百万も神様がいるのであれば、誰か物好きな神様もいるような気がするから、そんなわけで、神社の写真を撮っている。

そして、バチが当たろうが、何が当たろうが(宝くじなら大歓迎・・)、平気で公開している。写真は只だし、いくらでもコピーできるのであるから、気に入った写真が撮れたら、どんどんコピーして、どんどんばら撒けたらいいかなあって思っている。

そのためには、やはり少しは、綺麗に撮れていて、プリントもしっかりした写真を 作っていけたらなあって 新年ちょっと思った次第であります・・・。

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