記録

記録
昨日は記憶のこと書いたので、忘れないうちに記録についても今考えていることを書くことにしてみた。

実は、昨年の終わり頃まで、お昼に食べたモノをすべて写真に撮っていた。(ほとんどがラーメンであるが・・)

最初の頃は、静物撮りの練習と、「写真撮っていいですか?」っていう許可を得る練習というか、人前で写真の許可を得ることの難しさの打開としての試みとして始めたのであるが・・

そのまま4年ほど毎日のようにラーメンを食べ、すべて必死に写真を撮った。結構高価なコンパクトカメラで、マクロ機能を利用し、「どうせ撮るなら」最高の画質で・・ってことで撮っていた。

でも、どんなに綺麗に撮ったとしても、それは「記録」であり、私の心の中にある「ああ、美味かった・・」っていう、「記憶」にはどうしても勝てないことがわかった。

記録は腐敗し、記憶は美化される。

私が何か食べ物のお店をしていて、それを撮った人が、へたくそな写真をネットにアップしているのを見たら、ちょっとショックだと思う。それが、如何に上手に撮れていたとしても、それを作った本人からすると、「いや、そうではない」って思うかしれない。それよりは、「あなたの心の中の記憶として残してくれるほうがいい」って思う。

だから、食べ物の写真を撮るのはやはり辞めることにした。

でも、正直言って、いい練習になった。何しろ、麺が伸びたりスープが冷める前に、片手で、マクロで、暗い部屋の中で、ベタピンのバックが綺麗にボケた、スープにクリスタルのような光の当たった写真もたまに撮れたりして、それは、今の水の写真を撮るときに応用できるようだ。

ま、それは勝手に考えたいいわけというか、こじつけではあるが、それでも、無駄ではなかったようだ。

いや、それよりも、その間にいろいろ交わした店主さんとの会話や、コダワリや、一つの丼の中に込めた思い入れなどが、一枚の紙の上にプリントする写真にとっての大きなヒントになったのはありがたい。

また、美味いラーメンを食べて、そして、心の中にしみ込むようなスープと同じような、さっぱりしながら深い「写真」を撮っていけたらいいいなぁって思っている。

そして、これからは丸腰で、美味いラーメンを食べたいと思っている。

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